· 

天意と偽善

 

生きて行く中で、私が最も大切にしていることは「愛」
そして、嫌悪することは「偽善」だ。

愛と言うと、恋愛関係と誤解されがちだが、
これは神の愛であるところの「天意(あい)」
つまり、ギリシャ語でagapeを指す。
神を愛するゆえに、神の御心を行おうとすると
神から注がれて来る無限の天意=永遠の愛。

それは、自分のためじゃない。
自己満足の目的じゃない。
神の御心を求め、祈りながら従って行く。

一見、同じような行為だとしても
明らかに動機が違うのだ。


その対局にあるだろう「偽善」とは、
愛してる振り、愛の行いや善いことしてる風、
善い人の振り、
実際に何か善さそうなことを行ってはいても、
実は動機は天意じゃない…等々

いくらでも、その気になれば「善」はできると思う。
特に、お金があるなら…。

多くの人間はつい騙されて、やたらに賞賛されたり社会的に承認されたりしているが、
神の目は偽善を見抜く。

聖書にある通り
「わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
(第一サムエル記16:7)

また、主イエス様が自分を正しいとする「宗教家」たちに向かってだけは、
ひときわ厳しく
「お前たちまむしの末ども」とか
「お前たちの父は悪魔だ」など…
ビックリするほどキツく言っているように、
騙されるどころか
偽善を見抜き、徹底的に嫌悪し、
退けるお方が真の神なのだ。

私が思うに
不思議と、心の奥に罪悪感を抱いたりしている人ほど、
気付かずにそんな偽善をしてしまうようだ。
笹●良一が分かりやすいと思う。
彼は、さんざん悪どいことをしてきて莫大なお金を稼ぎ、
だからこそ
善行やってますパフォーマンスが凄い。
TVCMで、ニッコリ笑いながら年老いた母親をおぶって、
🎼戸締まり用心、火の用心、一日一回善いことを…♪
一日一善!

そして現在、サツタバ配給の日本●団。

ああ~、気持ち悪い。笑

「偽善」
それは、廻りの人々を欺き、最終的にみんなを傷付けることになる。
けれども、実は
自分自身を欺いている行為。

自分自身をごまかすことだ。

私が、一番したくないと思っていることは、それなのだ。

自分自身を欺いているかどうか?は、他人にはなかなか分からない。
また、本人もたいてい気付いていない。
そうすることが、自身にとって慣れっこになっているからだ。

しかし、神が見ているのは「心」
その内なる姿だ。
それこそが、最も大切なことだ。

だから、私は
いつも神の御前に真実でありたい、と願って
祈りながら生きている。