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「大好き」その2

ウチのカフェでは、
私の父の使っていた古い机を客席テーブルに使っている。
私も中学生の頃に使っていたもので、
よーく見るとテーブル板に私の名前がイタズラして掘ってある。

海兵として戦争に行き、本当なら人間魚雷として命を落としていたはずが
出陣直前に重い病気になったために
神様の恵みで助かった父。

その時病気にならなければ
私は存在していなかった。

そして終戦直後、交通機関も止まっていた中
横浜あたりから命からがら
長い期間掛けて北海道の故郷
多寄風連に帰ってきて、
警察に就職後初めて購入した私物らしい。

だから、高級アンティーク…というわけじゃないが
私には宝物だ。

しかも、このカフェの空間に似合っていると思う。

父は、勉強することがとにかく好きで、そのために購入したらしい。

数学に長けていたらしく、
後に京大の数学教授になった友人が
父のところに質問に来ていたほどだと聞く。
でも長兄が病弱な人で、家業の農業を手伝うしかなく

進学したくてもできない環境だったため
自ら、早稲田大学(だったと思う)の受験用紙を取り寄せて勉強していたと聞く。
しかも、農作業は朝早いので
3時位から起床して、ロウソクの光で取り組んでいたらしい。
きっと、多寄の寒さは一際だったと思うが
そんな中、誰よりも早く畑に出て働いた、という。

ところで、
これらの話を、私は父からは殆んど聞いていない。
死後、親戚の方々から教えてもらったのだ。

父は一切、自慢話や苦労話をしない人だった。

しみじみ
本当に 立派な人だったと思うし
こうして書いていると泣けて来る。

あの
先月亡くなった親友からもらった遺産である

「大好き」は

誰よりもそんな父にこそ言うべきだったのに、
私は言えなかった。

父は、家族の前では自己主張を殆んどせず
警察官として真面目に仕事に取り組み、
遊びにも行かず、もの静かに忍耐強く、
また孤独を愛する人だった。

そんな立派な父の深い愛に守られていたのに
私は本当に、わがまま勝手な娘だったと思う。

もう、謝ることも
ありがとうと言うことも
「大好き」と言うこともできない。

そう思う度にいつも、イエス様には悔い改めて
天国での両親に格別の祝福を…
と祈ってはいる。

そしてせめて、

神様が私の目の前に連れてきてくれた人たちに
「あなたが大好きだよ」
と言える人になりたいと思う。